いけなばの変遷


いけばなの起源

いけばなは、仏前供養の花からしだいに発展し、室町時代にその形態が整えられるようになったといわれますが、その起源は仏教が伝来するより古くにさかのぼることができます。

それは、神の宿る依代として榊などの常盤木(常緑樹)を用いたり、神霊を慰めるために木や花を用いた民族信仰に根ざした習俗です。太古から受け継がれてきたこの習俗が、やがて渡来してきた仏教の供花と密接に関わり、いけばな誕生の大きな要因となりました。

供花は、仏教の普及にともなって、仏前以外のの場所にも飾られるようになっていきますが、それは、宗教的な意味合いをもつ花から、観賞の対象としての花へという変化をあらわしています。平安時代に記された「枕草子」の中で、「勾欄のもとにあをき瓶のおほきなるをすえて桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば・・・」という一節は、花が鑑賞の対象として楽しまれていたことを示しています。

立花の成立

室町時代に入ると、足利義満をはじめとする歴代の将軍の芸術振興によって、能楽や茶の湯などの文化活動が盛んになります。その一環として、「書院造り」と呼ばれる建築様式が生まれました。書院造りとは、床や棚、書院を備えた座敷をもつ住まいで、この書院造りの出現がいけばなの勃興をうながしました。

これまでは、押し板や机の上といった移動できる場所に置かれていた花が、床の間という定位置に飾られるようになったのです。この座敷飾りの花から、立花という、花型をもった最も古いいけばなの様式が生まれました。

抛入花と、生花の誕生

桃山時代に大成された立花は、その後さらに発展していきますが、それとは別に「なげいれる」手法で花材を傾けて挿す抛入花という様式も行われていました。これは、立花が文字通り立てる花であったのに対して名づけられたものですが、かなり古くから続いていたことは確かで、前述の「枕草子」の瓶に挿した花も、この抛入花の系統に入るものと思われます。安土桃山時代に隆盛した茶の湯の花、いわゆる茶花も、この手法でいけられました。

江戸時代に入って、立花は最盛期を迎え、立華として洗練の度合いを高めますが、複雑な立華より庶民生活に合った抛入花のほうが盛んになりました。しかし、抛入花は即興の花で、接客を旨とした床飾りの花としての格式が求められました。そこで、立華と抛入花の中間をいく花が生まれました。これが、現在の生花あるいは格花と呼ばれる花で、江戸後期の文化文政時代にその様式が確立されました。単純な中にも格を備え、気品高く仕上がるところから、非常な勢いで普及し、さまざまな流儀が生まれました。

(株)敬風社「日本古流いけばな」より